今場所はお陰様で4-1と早々に勝ち越せました。
残りも精一杯頑張ります。
以前、改名の多い力士としてこのブログでも
書きましたが実は先場所から下の名前を
大神風 力 ➡ 大神風 龍二に改名しております。
Yahoo!ニュースにも取り上あげてもらいましたが、これは
佐ノ山親方、大関・千代大海 龍二から頂きました。
以前から審判員を務める師匠の付き人をしている時に
佐ノ山親方には良く声をかけて頂き、
アドバイスをしてもらっていました。
そして春場所の時に佐ノ山親方から
「下の名前を変えろ。俺の龍二をやる」と言われて
師匠からも了解を得て、五月場所から改名しています。
そんな事で思い返すと、
僕が「お相撲さんになろう!」と決意したきっかけは
千代大海関を見てだったのを思い出しました。
僕は生まれついて2歳の頃から
何故だか?相撲が大好きだったのです。
千代の富士に始まり、当時のスターだった若・貴が
番付を駆け上がる頃が最高に相撲が好きでした。
ところが僕が小学3年だった平成8年頃から
あまり相撲に興味がなくなってきます。
当時は曙、貴乃花、若乃花、武蔵丸、貴ノ浪の
5人が横綱・大関として君臨しており、
5年ほどこの5人からしか優勝は出ませんでした。
そのあまりに安定した強さに飽きてたんです。
しかし平成11年初場所、何気なく相撲を見ると
物凄い気迫で横綱大関に立ち向かっている千代大海関がいました。
その場所で初優勝、大関に昇進した千代大海関を見て
「俺も力士になるぞ!」と決めました。
あの気迫はまさに闘魂で、凄い衝撃がありましたね。
そんな千代大海関に気迫で勝り、
仕切り中から圧倒していたのが安芸乃島関だったのも、
僕にとっては今思えば何だか不思議な感じですね。
そんな憧れだった千代大海関に名前を頂いて
光栄な気持ち半分、情けない力士では
終わりたくないという責任感が強いです。
年齢も27歳。平成16年3月に入門して
丸11年が過ぎました。
出世も遅く、全く目立たない存在ですが
最近になって気付く事も沢山あります。
一番一番、気迫と意地を土俵でぶつけたいと思います。
師匠や応援して下さる方々を少しでも喜ばせたいです。頑張ります。
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大神風さん、勝ち越し、おめでとうございます。
人の縁は、大事ですね。
佐ノ山親方の優しさに、いつか、恩返しが
できれば、いいですね。
その為にも、より一層努力してください。
頑張ってください。
応援しております。
以前から、大神風さんが力士になった理由が気になっていたので、
今回はいつも以上に興味深く読ませて頂きました。
原点に千代大海関がいらしたとは!
その方に名前を頂くことになるなんて、不思議な感慨深いご縁ですね。
「気迫と意地を土俵でぶつけたい」男の心意気ですね。
引き続き応援させて頂きます!
来場所はこれで幕下50-55枚目くらいに復帰です。
ここで勝ち越し続ければ、先が明るいです。
がんばってください