現在僕は輝関の付き人で春巡業に出てます。
間近で見る関取衆の稽古などから
いろんな物を吸収できたらなと思います。
さて今回は短めですが、前回のブログで質問頂いた
本場所の場所数について。
昭和2年、東京と大阪にあった相撲協会が解散、
合併し大日本相撲協会が発足します。
ここから本場所は1月(両国)、3月(関西)、5月(両国)、
10月(関西)の4回を各場所11日間開催するようになります。
この時期では試行錯誤しながらの番付編成であり、
1月と3月、5月と10月のそれぞれを合算して行われました。
7年1月に力士団のストライキ、春秋園事件が発生。
多くの力士が脱退し、2月、3月に各8日間の変則興行となり、
脱退組が関西角力協会を翌年作ったので
8年から関西場所は廃止となり年2回の開催(1月、5月)となります。
12年5月場所から13日間、14年5月場所から15日間と日数が変わります。
これは双葉山の出現による相撲人気の影響です。
25年~27年は1月、5月、9月に各15日間行われます。
このうち大阪は、27年に難波の仮設国技館を建替え、
大阪府立体育館が完成。翌28年3月場所の会場となり、
以後3月場所は大阪開催と定着します。
栃錦、初代・若乃花の栃若時代が到来、
1932年に11月場所(九州場所)、1933年には7月場所(名古屋場所)を
行うようになり、現在の年6場所(1月、3月、5月、7月、9月、11月)、
15日間という体系になりました。
不滅の69連勝の横綱・双葉山の記録は年2場所、
11日間~13日間で達成されたのですから、2年間は負けなかったわけです。
現在にこの69連勝を達成するとするならば4場所と9日で達成するわけですから、
双葉山の記録がいかに偉大か、
もし仮にこれからこの記録に並ぶ力士が現れたとしても、
簡単に比べる訳にはいかない大記録だということがわかります。
写真は巡業中の輝関です。
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大神風さん、いつも相撲の歴史や知識を書いてくれてありがとうございます。とても参考になります。
本業の相撲の方ですが、場所連続の負け越しと来場所は三段目中位に下がってしまいます。昨年は幕下に定着するかと期待していましたが、心配です。あなたの相撲は足腰の良さを生かした粘りの相撲ですが、立ち合いの鋭さが、やや足りない感じがします。同じ小兵力士の後輩の石浦、照強、大原は大型力士に押し込まれないくらい鋭い立ち合いを身に付けています。今のままの立ち合いでは幕下中位が限度でその上は望めません。今年が正念場と思います。強い当たりは稽古で身に付けるしかありません。頑張ってください。
巡業でお忙しい中、丁寧に教えて頂きありがとうございました(*^-^*)
場所数の変遷とその背景が分かり、興味深かったです。
大神風さんの文章は、本当にコンパクトで伝わりやすいですね。
双葉山の大記録の意義(単純に現在とは比較できない)も
納得できました。
春巡業、色々大変かと思いますが、
身体に気を付けて頑張って下さい。
これからも応援させて頂きます!