大阪場所は2ー5でした。強い心を持って、初心に立ち返って稽古します。 来場所こそは!という思いで頑張ります。 さて、前回からの続きでさがりについて。 今回は関取衆のさがりを作る過程を紹介します。 関取衆のさがりは締め込みを織っている物と 同じ絹の糸を無数の束にして1本になっています。 まず先場所使ったさがりを熱湯に浸して糊を溶かし、糸の束に戻します。 これを乾かしてから糸に櫛をかけて下準備完了です。
次に作成です。 まずは糊の用意から。糊は海藻が原料の布海苔を使います。 この布海苔を熱湯で溶かしてから濾すと糊ができます。
この糊をさがりの糸の束に丁寧に塗り込んでいきます。 この時にしっかり中まで糊が塗れていないとすぐに折れたり、 糸が解れてしまってピンと張ったさがりが出来ません。 丁寧に、慎重に塗り込んでいきます。
1本を先まで塗り終えると余分な糊をおとして形を整え、 最後に先っぽを親指で抑えて形を作ります。 これを全てで13本分作って、1つのさがりが出来ます。 さがりは締め込み1本に対して2つあり、 本場所の前半と後半で分けて使います。
こうして糊を張ったさがりを2日ほど乾かすとカチカチに固まります。 最後に固まったさがりの先端をハサミで丸く切って完成です。
この作業は場所前に必ず行い、付き人達は関取が怪我をしないように、 勝ち越せるようにと、願いと思いを込めて作ります。 今場所は少し付き人達の思いが足らなかったのかも(笑) 反省して来場所もまた精一杯、輝関をサポートしたいと思います。
大変わかりやすいさがり作りの写真有難うございました。
分かりやすい解説ありがとうございます(^^)
「さがりを溶かす」のは、綺麗に作り直すためのファーストステップなんですね。
以前から不思議に思っていた、関取衆のさがりがピンと張っている理由も
分かりました。
職人芸の世界ですね~
三月場所、お疲れ様でした!
場所休み中も何かとお忙しいと思いますが、
できるだけ心身を休めて下さいね。
何回も失礼します・・・
さがりのお話からは離れますが、
大神風さんに教えて頂きたいことがあります。
最近、ホテルニューオータニの創業者・大谷米次郎氏の「私の履歴書」を読み、
氏が若い頃、種銭稼ぎのため力士をしていたことを知りました。
「幕下上位で付け人もいたし、当時(=大正年間)は年二場所だったので、
気楽な力士生活だった」という記述があり、
「昔は二場所制だったのか!?」とびっくりしました。
大正、昭和、平成と時代が下るにつれて、場所数は増えていったのでしょうか?
場所数の変遷について、ご教示頂ければ嬉しいです。
さがりって、毎場所部屋で手作りされているものなんですか!?ビックリです!あんなに美しいものを。
てっきり京都かどこかの職人さんが毎回作られているものだと思ってました。
大神風さんのブログにはいつも感心を通り越して感動です、と春場所で声をかけさせていただいた者です。
これからも応援します、もちろんお相撲の方です!