二所一門の阿佐ヶ谷系、花籠一門について。 何度も言いますが二所一門は 「両国系」と「阿佐ヶ谷系」の二つに分かれていました。 前回は「両国系」について説明しましたので今回は「阿佐ヶ谷系」です。 二所ノ関部屋の前頭3・大ノ海は二所ノ関から独立、 花籠部屋を阿佐ヶ谷に設立します。 始めは弟子も少なく、 協会一の貧乏部屋と呼ばれていましたが後に横綱・初代、若乃花が誕生。 その他にも横綱・輪島、大関・魁傑、関脇・若秩父、大豪、荒勢、 小結・若ノ海、龍虎ら27人もの関取を一代で育てました。 一代で2人の横綱を育てたのは九重親方(千代の富士、北勝海)、 二子山親方(二代目・若乃花、隆の里)、 藤島親方(三代目・若乃花、貴乃花)などがいますが、 いずれも同時期に切磋琢磨した力士が横綱になっています。 しかし花籠親方は横綱・若乃花を育てた後、 10年以上経ってから横綱・輪島を育てました。こういった例は花籠親方だけです。 前頭3枚目が最高位だった花籠親方は 「名選手、必ずしも名伯楽とは限らない」という言葉を良い意味で実践し、 弟子達からの信頼も得ていました。 花籠部屋から横綱・若乃花が独立し、二子山部屋を創設。 その二子山部屋からも隆の里の鳴戸部屋、若乃花の間垣部屋、 貴ノ花の藤島部屋、若嶋津の松ヶ根部屋、二子岳の荒磯部屋が独立。 更に花籠部屋からは魁傑が放駒部屋として独立。 この様に花籠部屋からの枝分かれは大変な勢力となり、 「阿佐ヶ谷系」と呼ばれ、一時は二所一門から独立した「花籠一門」とまでになりました。 花籠親方は定年を前に娘婿の横綱・輪島に部屋をバトンタッチし退職。 退職直後に残念ながら膵臓癌で死去。 名門花籠は輪島に託されましたが、 数々の不祥事が発覚し、輪島の花籠親方は協会を退職。 花籠部屋は分家の放駒部屋に吸収されることとなり、 名門花籠部屋は呆気なく消滅します。 これに伴って花籠一門も自然と二所一門へと戻りました。 しかし花籠の分家である「阿佐ヶ谷系」の各部屋は 多くの関取を輩出、更に進化していきます。 次回はその「阿佐ヶ谷系」から二子山部屋、放駒部屋について書いていきます。