今回は二所一門、二子山部屋と放駒部屋について書く予定でしたが、 前回のブログで質問を頂いたので簡潔に答えてさして頂きます。 一門の連載については次回にします。 質問1 幕下以下のさがりが紐状なのは何故か? これは特に理由はないと思います。 製造も簡単でコスト的な事もあるかもしれませんね。 しかし、さがりとしての意味合いで本数等は関取衆と同じになっています。 詳しくは以前書いたブログをどうぞ。 質問2 明荷の数は地位によって決まっているのか? そんな事はありません。 基本的に明荷は化粧廻しを購入する際にセットで付いてきます。 なので化粧廻しの本数と同じ数の明荷も所有していることになります。 その他にも十両昇進の際にお祝いのプレゼントとして 同期生一同から明荷だけで贈られることが多いです。 質問3 場所や巡業がない時に行司さんや呼出しさんはどんな仕事をしているか? 行司さんは各部屋に所属しているので部屋のマネージメントをする事が多いです。 主に字を書くのが上手なので書き物をすることや、お金の管理などです。 呼出しさんは一門単位でそれぞれの担当の部屋の土俵築です。 これは各場所毎に作り直すので一部屋につき、年に6回作っていることになります。 質問4 巡業中、付け人は関取の浴衣のアイロンがけなどもするのか? 本来ならクリーニングに出すべきなのですが、 巡業中はそうもいかないのでアイロンがけすることもあります。 質問5 力士が自分の四股名入りの浴衣を作るのは、毎年ですか? その費用は親方が出して下さるのですか?浴衣以外に作って配ったりしますか? まず自分の四股名の入った浴衣生地を作れるのは幕内以上の力士のみです。 力士が浴衣を着る5月~9月までの間に幕内に在籍した力士が作ります。 毎年作るかどうかは個人の事あり決まりはなく、毎年作る人もそうでない人もいます。 費用も基本的に関取の個人持ちです。 親方は部屋の名前が入った部屋の反物を作ります。 浴衣が一般的ですが稀にタオル等を配る人もいます。 質問6 自分の四股名の浴衣を着るのは粋じゃない (自分で自分の宣伝をするのは恥だと か、配る相手がいないと思われるとか…) と聞いたことがありますが、最近はご自分の浴衣を着ている力士をよく見ます。 今では、風習も変わったのでしょうか? これも決まりがあるわけではなく、確かに昔はそういった風習があったそうです。 現在もそういった考えの力士もいるでしょうし、 気にせず自分の浴衣を着る力士もいます。 この他にも聞きたい事がありましたら、どんどん 質問して下さい。 話は変わって、僕は先発隊で九州に乗り込んでいます。 九州の宿舎は「オイスカ西日本研修センター」をお借りしています。 ここは色んな国の人々が日本で農業を学ぶために研修に来ているセンターです。 ここでは毎朝、研修生の方々が母国の国旗を掲揚し、敬礼します。 異国の日本に来ても国を代表して来ているという気持ちの表れの様で、 僕は感銘をうけています。 我々力士も日本男児であることを誇りに思い、 国を背負って戦う気持ちが必要なのではと思います。 今後も国技・相撲のために頑張ります。