2015年4月4日 のアーカイブ

大神風です。

2015年4月4日 土曜日
現在僕は輝関の付き人で春巡業に出てます。
間近で見る関取衆の稽古などから
いろんな物を吸収できたらなと思います。

さて今回は短めですが、前回のブログで質問頂いた
本場所の場所数について。

昭和2年、東京と大阪にあった相撲協会が解散、
合併し大日本相撲協会が発足します。
ここから本場所は1月(両国)、3月(関西)、5月(両国)、
10月(関西)の4回を各場所11日間開催するようになります。
この時期では試行錯誤しながらの番付編成であり、
1月と3月、5月と10月のそれぞれを合算して行われました。

7年1月に力士団のストライキ、春秋園事件が発生。
多くの力士が脱退し、2月、3月に各8日間の変則興行となり、
脱退組が関西角力協会を翌年作ったので
8年から関西場所は廃止となり年2回の開催(1月、5月)となります。

12年5月場所から13日間、14年5月場所から15日間と日数が変わります。
これは双葉山の出現による相撲人気の影響です。

25年~27年は1月、5月、9月に各15日間行われます。
このうち大阪は、27年に難波の仮設国技館を建替え、
大阪府立体育館が完成。翌28年3月場所の会場となり、
以後3月場所は大阪開催と定着します。

栃錦、初代・若乃花の栃若時代が到来、
1932年に11月場所(九州場所)、1933年には7月場所(名古屋場所)を
行うようになり、現在の年6場所(1月、3月、5月、7月、9月、11月)、
15日間という体系になりました。

不滅の69連勝の横綱・双葉山の記録は年2場所、
11日間~13日間で達成されたのですから、2年間は負けなかったわけです。
現在にこの69連勝を達成するとするならば4場所と9日で達成するわけですから、
双葉山の記録がいかに偉大か、
もし仮にこれからこの記録に並ぶ力士が現れたとしても、
簡単に比べる訳にはいかない大記録だということがわかります。

写真は巡業中の輝関です。

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