大神風です。 秋場所はなんとか4勝3敗で勝ち越せました。 しかし自分の悪い癖で負けた相撲もあり、 改善出来ればあと1つ2つと上積みできたと思います。 部屋も23人中15人が勝ち越し。 新十両も誕生して良い流れにあると思います。 九州では更に好成績を残せるように、部屋一丸となって頑張ります。 高田川部屋の関取衆、最後の5人目は十両・卓越山 吾郎です。 卓越山は昭和36年11月8日に大阪府守口市で生まれます。 体格に恵まれ中学では柔道少年でしたが、 同郷の大関・前乃山の高田川親方にスカウトされ高田川部屋に入門。 52年3月初土俵。後の小結・前乃臻と同期生です。 入門時から非常に均整のとれた身体で期待され、 高田川親方と同時期に部屋を興した大鳴戸親方(元・高鉄山)が 卓越山を見て「高田川さんは良い弟子に恵まれたなぁ」と 嘆いたそうです。 四股名は前の光から前乃光と名乗っていましたが、 幕下で低迷していた58年11月から卓越山に改名。 これは高田川親方が「他人より優れて、山を越えれるように」と 命名したものです。 187㎝、148㎏と身体に恵まれながらも受け身で投げ技が多く、 また若い時分には部屋の生活に飽きて 空気の綺麗な田舎に行きたくなり、 勝手に青森まで旅行に出掛け部屋を大騒ぎさせた事もある程で、 イマイチ相撲に打ち込めない性格で素質がありながら 長く幕下に低迷します。 しかし同期生の前乃臻が先に関取になって発奮し、 60年7月、遂に新十両昇進を果たします。 十両を4場所務めましたが膝の怪我もあり、 幕下に陥落。すると陥落後2場所であっさりと引退。 引退後はすぐに全日本プロレスに入団。 本名の高木 功をリングネームにデビューし、 いくつかのプロレス団体を転々としてリングネーム・嵐として活躍。 人気レスラーとなりました。 これまで紹介した5人に現役の大雷童、竜電、 更に来場所新十両の輝の3人で計8人が高田川部屋の関取衆となります。 次回は番外として三役格行司・式守 勘太夫を紹介しようと思います。 他にも何かリクエストありましたら教えて下さい。 よろしくお願いします。