大神風です。
先発で福岡に来ています。新しい宿舎は大自然に囲まれ、
相撲に集中できる素晴らしい環境です。
輝関の十両昇進に沸く高田川部屋。
僕も地味ですが意地を持って
ゆっくりでも歩を進めて行きたいと思います。
今回は三役格行司・十一代、式守 勘太夫です。
式守 勘太夫は昭和34年9月22日に島根県出雲市で生まれます。
少年時から大関・前乃山の大ファンで、
自ら前乃山に手紙を書き、行司として高田川部屋に入門。
50年5月に本名から取った木村 英樹の名前で初土俵を踏みます。
行司の中ではしっかりした体格で裁きも正確。
平成4年1月に十両格に昇進。
この時、木村 和一郎と改名。
これは師匠の高田川 和一という名前から取って
本人が考えたものです。
部屋の雑務もこなし新弟子のスカウトなどにも熱心で、
高田川部屋の多くの力士の四股名を考えたのも和一郎です。
関取となった剣晃、鬼雷砲、前進山などは
和一郎の傑作と言えるでしょう。
17年9月幕内格昇進。これは部屋の大雷童が
新十両に昇進したのと同時でした。
21年3月には長男が高田川部屋に入門。
前乃勝として初土俵を踏み、
史上初の行司・力士の親子として注目されます。
24年1月に十一代・式守 勘太夫を襲名。
5月には栃煌山―旭天鵬の史上初の平幕同士による
優勝決定戦を裁きました。
これは平幕同士による取組なので、
幕内格の最上位だった勘太夫が選ばれたものです。
25年5月三役格昇進。
同じ島根出身の隠岐の海も新小結に昇進ており、
同時昇進で話題になりました。
この間に地元島根県出雲市での巡業を成功させ、
小学生時代に過ごした岡山県真庭市の母校でも巡業を開催、
夢だった校庭での横綱土俵入りを成功。
たまに土俵上で裁きの途中に転んだりと、
何かと話題が絶えない、高田川部屋を支える名行司です。
次回からは何を書くか考えておりますが、
新しい企画をするのも東京に帰ってからとなると思います。
それでは、また。