大神風です。 先場所はなんとか4勝3敗で勝ち越せました。 しかし最後の相撲も負けてしまい、4勝には満足していません。 来場所は幕下に戻りますが、自分の課題を克服して 秋場所に挑めるように頑張ります。 さて、今回は高田川部屋の関取衆2人目。小結・前乃臻 康夫です。 前乃臻は昭和36年4月17日、福岡県嘉穂郡筑穂町大分に生まれます。 両親と姉との4人家族。 いつも姉の後ろにくっついて遊んでいたおとなしい少年でした。 中学では野球部ながら相撲大会に駆り出され活躍。 相撲部に入部して県大会優勝、九州大会5位と活躍します。 その噂を聞き、大関・前乃山の高田川親方がスカウトに現れ、 52年3月に高田川部屋に入門。独立して3年の新興部屋の期待の星で、 厳しく指導されます。 52年5月、前の海の四股名で序ノ口、56年7月に本名の沢辺に戻して 翌9月に「競争相手を倒し、人の先頭に立つ」という意味で前乃臻と改名。 59年1月に新十両昇進。高田川部屋にとっても待望の初関取となります。 右四つ左上手の本格的な四つ相撲を磨き、60年11月には24歳で新入幕。 何度か幕内と十両を往復しましたが、62年7月に東前頭8枚目で 11勝4敗の好成績で翌9月に自己最高位となる小結に昇進しました。 新小結の場所は綱取りの大関・大乃国を倒す星が光りましたが、 4勝11敗と負け越し。 その後は勝ち越すことも出来ずに、63年7月十両に陥落。 11月には心機一転で前乃森(読みは同じ、まえのしん)と改名しますが、 一進一退を繰り返し平成2年3月、ついに幕下に陥落したため 28歳で現役を引退。年寄・山響を襲名しました。 相撲教習所の指導などを務めましたが、 平成9年1月に日本相撲協会を退職しました。 次回は小結・剣晃について書きます。