大神風です。 現在は名古屋に先発として来て宿舎の準備をしております。 高田川代々、最終回です。 七代目は高砂部屋の前頭12枚目・朝嵐 勇次です。 朝嵐は昭和18年7月8日に大阪市 東淀川区淡路町に生まれます。 中学時代は海に憧れて航海士の試験を受けようとしましたが、 難しそうで受からないだろうと諦め、どうしようかと迷いました。 そこで体も大きかったので力士になろうと高砂部屋に入門。 34年3月に初土俵を踏みます。同期生には後の横綱・玉の海がいました。 34年9月に朝響、39年5月に朝嵐と高砂部屋伝統の四股名をもらっており、 期待が伺えます。 41年7月に新十両昇進。その後3度幕下に落ちますが、 44年3月に東十両筆頭で千秋楽に勝ち越し。 翌5月に25歳で念願の新入幕を果たしました。 183㎝、112㎏。突っ張って左四つからの吊り、寄りの取り口。 しかし地味で温厚な性格が災いして幕内は1場所限りでした。 朝嵐には面白い話が1つ。 43年9月、初日の十両最初の一番で和晃と対戦します。 制限時間一杯、和晃が「おい、汗をふけよ」と朝嵐に言います。 朝嵐は待っただと解釈して仕切り直そうと立ち上がった時、 土俵に落ちたほうきのゴミに気付いて土俵の外に捨てに行きました。 それを見た審判達が「あれは負けではないか?」と物言いがつき、 協議の結果、朝嵐の負けとなりました。 「制限時間後に土俵外に出た場合は負けにする」という内規があり、 その適用となったのです。 48年3月に幕下に陥落。全休のまま29歳で引退。 ここで部屋の大関・前の山の名跡を借り受けて一時的に 七代目・高田川を襲名します。その後、前の山の引退後は年寄・振分を襲名。 平成20年7月に定年退職。現在も元気に焼肉店などを経営されております。 これで高田川代々は終了です。 これからは何を連載するか決まってませんが、 何かしら相撲の事を書きたいと思います。 何かリクエストありましたらコメントして下さい。 参考にしたいと思います。