大神風です。
近年になかった程に熱気を帯びた国技館、
盛り上がる大相撲五月場所も残り3日となりました。
僕は3勝3敗で最後の大一番を残しております。
高田川代々、今回は四代目と五代目についてです。
四代目は井筒部屋の前頭12枚目・葦葉山 七兵衛です。
葦葉山は現在の東京都港区元麻布に大正2年12月1日に生まれます。
井筒部屋に入門し、最高位前頭12枚目。幕内在位3場所。
20年11月限りで31歳で引退。一時的に高田川を借り受け襲名しました。
2年後に元・海光山の枝川親方と名跡を交換し、枝川を襲名。
大横綱・双葉山の時津風理事長に人柄の良さと豊富な知識を買われ、
時津風理事長のもと在京理事として真価を発揮しました。
37年2月28日没。享年48歳の若さでした。愛娘は元前頭・大雄の甲山親方夫人となり、
元三段目・江戸葵は孫に当たりました。
五代目は二所ノ関部屋の前頭2枚目・海光山 大五郎です。
海光山は明治33年3月16日に徳島県海部郡宍喰町に生まれます。
兵役を済ませてから関脇・海山の二所ノ関部屋に入門。
大正13年5月に24歳で幕下付出で初土俵。
初めは四股名を八坂濱と名乗りましたが、
師匠の現役名・海山を光らせるという意味で海光山と改名。
昭和7年1月に入幕しますが、場所前の春秋園事件で脱退。
幻の入幕となりますが、8年1月に復帰して晴れて幕内力士となりました。
左四つ、太鼓腹を利用した吊りと寄りで活躍。横綱・玉錦の太刀持ちも務めました。
14年1月限りで引退。年寄・枝川を襲名して
翌5月から21年11月まで部屋を経営しますが、関取を育成できずに閉鎖。
22年11月に葦葉山の高田川と名跡交換。審判に選任され、
25年2月から木戸部長を務めます。
27年1月から平年寄となり、5月からは年寄・放駒を襲名。
健康を害して28年5月限りで退職。帰郷して療養に務めていましたが29年5月16日没。
享年54歳でした。
次回は六代目・幕内、朝若佐太郎について書きます。
もうしばらくお付き合いを。