大神風です。大阪場所は無事に勝ち越し、5勝で終われました。 また五月場所に向けて稽古に励んでます。 前回で高田川代々も一旦終了したのですが、 今回からは初代から七代目までを少し詳しく書きたいと思います。 まず年寄・高田川の名跡は大阪相撲の名跡であり、 比較的新しい頭取名で明治になって創設されたものです。 (頭取とは現在の年寄の意) 初代は高田川 音吉。 現在の大阪府柏原市山ノ井町出身の前頭上段力士・高田川です。 現役時代の四股名をそのまま頭取名としたものです。 地元の河内に勢力地盤を持っていた 大阪頭取・鏡山(元前頭上段・男石)の弟子となり、 元治元年(1864年)6月に大阪相撲の番付に載ります。 最高位は前頭上段四十二枚目。上段と二段目を上下した前頭下位力士でした。 明治9年6月に引退。11年9月より四股名のまま世話人となります。 年月は定かではありませんが、所属部屋が 鏡山から同門の藤嶋(元前頭十二・鞁ヶ滝)の弟子に。 大阪相撲の実権者で取締の藤嶋の後ろ楯で 26年10月に格頭取(現在の準年寄)となり、27年4月に頭取に昇格。 35年6月から鏡山を継承。 関脇・大虎や娘婿となった前頭・日ノ出岩などを育成し、 37年五月場所の興行元(勧進元)も務めました。 37年6月没。享年は不明。 明治42年6月に大阪市天王寺区の四天王寺に建立された ″初代高田川音吉之碑″と刻まれた墓石は現在でも残っています。 また日ノ出岩と子孫により昭和4年11月3日に 郷里・柏原市山ノ井町の山井寺にも″高田川音吉之碑″ が建てられ、 その背面にも″初代大阪相撲頭取高田川出生為記念″とあり、 この事から晩年に襲名した鏡山よりも、 やはり高田川に思い入れがあったものと思われます。 写真は四天王寺にある高田川音吉之碑です。 来年の大阪場所の時には手を合わせに行ってみようと思っています。 次回は二代目・侠客、橋本政吉について書きます。