大神風です。 今回は高田川代々の三回目、現師匠の関脇・安芸乃島の 九代目・高田川親方について書きます。 安芸乃島 勝巳は1967年3月16日に 広島県豊田郡安芸津町(現在の東広島市)で誕生します。 稼業は漁師。小学生になる頃には毎朝、登校前に 漁を手伝ったそうです。 この経験が類い稀な足腰、怪力、そして不屈の精神力を生みます。 また、伯父の柔道教室に通いその強さを発揮していました。 そのまま中学でも柔道を続け、柔道強豪の高校から スカウトが殺到するまでになります。 その傍ら相撲の大会にも出場し全国大会に出場します。 中学3年生の時、広島に大相撲の巡業一行が来ます。 そこで憧れの大関・貴ノ花に 「力士にならないか?」と声をかけられ「はい!」と即答。 中学卒業の1982年3月に貴ノ花が師匠の藤島部屋に入門。 三月場所で初土俵を踏みます。 入門翌日から1日100番の猛稽古、 入門時に130キロあった体重はすぐに90キロ台まで落ちる程の稽古でした。 番付に載って二場所目には序二段優勝。 幕下だった1987年一月に本名の山中から安芸ノ島に改名。 これは地元の″安芸″に、藤島親方と本人が尊敬していた 横綱・玉の海が大関まで名乗った玉乃島から ″島″をとって名付けられました。 1987年五月に幕下優勝。翌七月場所、藤島部屋で 初関取となる新十両に昇進。1988年一月場所で十両優勝。 翌三月場所には二十歳にして新入幕を果たします。 関取になっても猛稽古は健在。新十両昇進時に藤島親方から 「関取は給料がもらえる。今までの3倍稽古しろ。」と言われたそうです。 1988年七月場所で11勝、初の三賞となる敢闘賞を受賞。 後に獲得する三賞は合計で19回。これは史上1位の記録です。 上位に躍進した翌九月場所で横綱初挑戦となる 横綱・大乃国に勝利し初金星を獲得。 以降、対戦した横綱からは全員金星を獲得。 獲得した金星は合計16個。これも三賞同様、史上1位の記録です。 (千代の富士4個、北勝海4個旭富士4個、大乃国2個、曙1個、武藏丸1個)。 翌十一月場所では新三役となる小結に、 1989年五月場所で新関脇に昇進。 上位キラー、大関候補として期待されます。 1992年三月場所では千秋楽を12勝2敗の優勝争いトップタイで向かえ 初優勝のチャンスが巡ってきます。 しかし、千秋楽に苦手にしていた琴錦に敗れ初優勝はなりませんでした。 その後も常に幕内上位~三役で活躍、 幕内にはなくてはならない存在になりました。 ここで一旦区切りまして今回はまだまだ書く事が多く、 終わらないので続きは次回、3月22日のブログにしたいと思います。お楽しみに。 (写真は現在、師匠が稽古場で使っている稽古まわしです。)