大神風です。
好評いただいてます高田川代々、
今回は現在の師匠・九代目高田川親方について書く予定でしたが、
大阪の先発中ということで少し時間がなく、
大変勝手ですが次回の3月4日までお待ち下さい。
申し訳ありません。
ただ前回いただいた
「なぜ前の山と前乃山という表記があるのか?」
という質問にだけお答えします。
1969年5月まで「前の山」でしたがこの場所、
東前頭筆頭で11勝4敗の好成績で
翌場所の三役復帰を確実にし、
7月から「前乃山 」に改名します。
その後、大関に昇進。
1970年11月から引退するまでの間
再び「前の山」に戻しています。
よって引退時の四股名から
「前の山」と表記するのがほとんどです。
僕が前回のブログで「前乃山」としたのは
やはり大関昇進の時が一番、インパクトがあっただろうし、
強かったとの勝手な見解で「前乃山」とした、という事です。
僕のような1人の若い衆が、
偉そうに師匠の事を書くのはいかがなものか。という思いが
あるのですが、皆様に高田川部屋の事を知っていただく為にも
と思い次回も書かせていただきます。
話は変わって、2月16日に僕の母校である
報徳学園の相撲部75周年パーティーがあり、
出席してきました。
監督、先輩方に激励いただき、早く報徳の化粧廻しを
締めれるように頑張ろう!と気持ちを新たにしました。