大神風です。
初場所も終盤戦、最後まで高田川部屋一同、頑張ります。
さて、これから僕が無類の相撲好きでマニアなのを発揮して、
高田川部屋の歴史について三回に分けて少し触れてみます。
まず高田川の襲名者は現在の高田川親方で9代目になります。
初代・高田川 音吉
二代目・侠客、橋本政吉
三代目・関脇、早瀬川 一栄
四代目・前頭12、葦葉山 七兵衛
五代目・前頭2、海光山 大五郎
六代目・前頭21、朝若 佐太郎
七代目・前頭12、朝嵐 大三郎
八代目・大関、前の山 太郎
九代目・関脇、安芸乃島 勝巳
このような流れになります。
部屋としましては、三代目が大阪相撲
(江戸時代~大正の末まで東京、大阪で相撲界は別れていた)で
高田川部屋を襲名、運営しており、
東西合併の際に大日本相撲協会に加入します。
1931年、横綱・宮城山の白玉親方(後に芝田山親方)に
力士をすべて預けますが、
1943年、芝田山親方の死去で再び三代目が弟子を預ります。
1944年、三代目の死去で弟子は高砂部屋へ。高田川部屋は消滅します。
その後、四代、五代、六代、七代目までは一時期の襲名などで
高田川の名跡は点々とします。
1974年、高砂部屋の大関・前の山が八代目を襲名、
高砂部屋より分家独立し高田川部屋が再興され、
6人の関取を育てます。
2009年、翌年に八代目の定年を控えていた為、
部屋付きの関脇・安芸乃島の千田川親方と名跡交換。
関脇・安芸乃島が九代目を襲名して現在に至ります。
現在でも高田川部屋を再興した、八代目からを初代と見立てて、
稽古場の名札に掲げられています。
二回目は僕が入門した時の師匠、八代目について、三回目は
現・師匠の九代目について詳しく触れたいと思います。