今回は二所一門の系譜、阿佐ヶ谷系の二子山部屋から
独立した部屋について2回に分けて説明します。
前回書いたように横綱・初代若乃花の二子山部屋からは
多くの関取が誕生しました。
その中から6人の関取が分家独立し、部屋を構えます。
まず横綱・隆の里の鳴戸部屋。
鳴戸親方は猛稽古と現役時代に取り組んだウエイトトレーニングなどで
大関・稀勢の里
関脇・若の里、隆乃若
小結・高安
前頭・力櫻、隆の鶴、隆の山
を育てます。
鳴戸親方は稀勢の里が大関昇進を前にして死去。
現在は隆の鶴が田子ノ浦部屋として継承しています。
小結・二子岳は荒磯部屋を創立。
関取は育てる事が出来ずに、荒磯親方が定年をむかえ花籠部屋と合併し、
荒磯部屋からの弟子である荒鷲が関取になりました。
関脇・太寿山の花籠部屋は
前頭・光龍、
荒磯部屋からの弟子で十両・荒鷲を育てますが、
部屋を閉鎖。峰崎部屋と合併し、荒鷲は前頭まで昇進しました。
残りの3部屋は次回に。
現在、僕は輝関の付け人として冬巡業に参加しています。
巡業で色んな力士と稽古して、
また色んなアドバイスや意見を聞けるのは本当に勉強になります。
写真は仕度部屋の輝関と勘太夫さんです。
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大神風さん、九州場所お疲れ様でした♪
いつもながら、分かりやすい解説を有り難うございます。不思議なもので、大神風さんの文章はすっと頭に入ります。
冬巡業に帯同なさってるんですね。毎日4〜5時間のバス移動だそうで、ご負担が大きいでしょう。しっかり稽古されてるようですが、故障者も多いと聞いておりますので、疲労から怪我や風邪にならないようにご注意くださいね。
輝関と勘太夫さんのお写真、有り難うございます!輝関、体調は大丈夫でしょうか?勘太夫さんは、装束着てないと分からなくなります(笑)。ごめんなさい。先場所は、結びの裁き、ご苦労様でした!
九州場所お疲れ様でした!&勝ち越しおめでとうございます☆
以前「相撲」誌で、荒鷲関が幕内昇進した時に旧荒磯部屋関係者が
集まって祝賀会をしたという記事がありましたが、こういう経緯だったんですね。
巡業お疲れ様です。
夏や秋より短めとはいえ、移動も多くて大変ですね。
体調に気を付けて、無事に乗り切って下さい。
久しぶりに、写真をアップ。マウスを(左クリック)すると、写真が大きくなります。輝関の優しい顔を拝見出来ました。
要は、肝っ玉を太くすることです。
50年以上前のことです。
中学の時、隣町で映画を観終わったら、自宅方面の最終バスが出た後でした。しかたがないので、一里(約4km)を歩きます
。その途中、江戸時代、役人が常在し、厳しく出入りを見はつていた峠を越えなければなりません。道は泥道で、1台の車も通らない。近くに人家もない。暗闇の中を黙って歩くだけです。
ある時は、100メートルほど、両側にお墓のある下り坂を、真夜中、ただ黙々と歩いたこともあります。
続く