今日から高田川部屋の所属する二所ノ関一門の ルーツなどについて書いていきます。 今回は始めなので二所一門の分かれ方について。 戦後の昭和21年頃から考えますと、昭和10年から 横綱・玉錦が二枚鑑札(現役でありながら弟子の育成、 指導も出来る当時の制度)で率いていた二所ノ関部屋を 13年の玉錦死去に伴い、関脇・玉ノ海が二枚鑑札で継承。 先代からの弟子であった大関・佐賀ノ花、関脇・神風、 玉乃海、小結・琴錦前頭・十勝岩、大ノ海などが活躍しました。 その後、玉ノ海が弟子達に「分家独立、弟子の育成」を奨励し、 佐賀ノ花に二所ノ関を継承させ協会を退きます。 そして二所ノ関部屋から玉乃海が片男波部屋を、 琴錦が佐渡ヶ嶽部屋を、十勝岩が湊川部屋(後に閉鎖)を、 大ノ海が花籠部屋を創立します。 その後もこの独立した各部屋が多くの名力士を輩出し、 そこから更に枝分かれしながら部屋が増え、 二所一門は勢力を増していきます。 これからこの各部屋の現在までの流れを順番に説明していきます。 次回は本家、二所ノ関部屋について書きます。
昭和6年生まれの親戚と話した時、
「小学校に上がる前、国技館に行ったことがある。
ほとんど何も覚えてないけど、玉錦の土俵入りだけは記憶に残ってる。」
と聞いたことがあります。
二所ノ関一門のご先祖様だったんですね!
もうすぐ始まる九月場所、土俵で大暴れして下さいね☆